今日はA棟2階外側に突撃取材に行ってきました!
なぜA2外かと言いますと、ズバリこれです!!
↑A2外のとある部屋の壁に残る落書き

「質素・剛健・自重・自治」
そう、書いてある通り兵庫県立兵庫高等学校の校訓です。
これは前の期に偶然発見したもので、過去に兵庫高校出身の偉大な(?)先人が書かれたのでしょう。
そんなに母校に愛着があったわけではないのですが、見つけたときはやはりつながりというものを感じました。
同じように兵庫高校の校舎で学び、また同じように恵迪寮にやってきた先人のかげを壁の落書きに見ることができます。

これはA2外のとある一室の壁なわけですが、ではでは他の部屋ではみんな何をしているのでしょうか!という好奇心で他の部屋を覗いてみました。

↑「量子力学」や「統計力学」の試験勉強に頭を抱える苦学生田中(4)

↑中国語の試験勉強に励む農学部2位合格という輝かしい過去を持つ男北沢(2)

・・・みんな期末試験ラッシュです。
ちなみにこの北沢(2)という男、現在は第100代北大応援団のリーダー部長を、過去には第102回寮祭実行委員長を務めており、さまざまな伝説を持っています。「定山渓(じょうざんけい)」を自信満々に「ていざんこくッ!」とかっこつけて言うなんてのは軽いジャブのようなもので、もっともっと面白い逸話を彼はいっぱいいっぱい持っているのでまた機会があれば紹介したいと思います。
また、そんな彼の実家はフルーツガーデンだそうで、めっちゃおいしい林檎をよくわけてもらいます。ごっつあんです!
北沢(2)の話を聞く度、田中(4)さんとはフルーツガーデン北沢にぜひぜひ行ってみたいなあという話をよくします。
今や日本で一番行ってみたい場所ですね。

おたに(2)

 私の座右の銘は「情けは人の為ならず」です。

これは「情けはその人のためにならない」という意味ではなく、「人への親切はその相手のためになるだけでなく、巡り巡ってやがては自分によい報いとなって返ってくるということ」を意味します。
だからどんなことでも嫌な顔せず、恩着せがましくすることなくやるというのが目標です。

今日もその精神で放置されてる食器や鍋を全部洗いました。
その後居部屋にいるとA(3)さんが、帰省中になくなった私のパソコンのアダプターを見つけて来てくれました。探せども探せども見つからず、パソコンが使えなくて本当に困っていたので、すごく助かりました。
やはり人の世は「情けは人の為ならず」なんですね。

ちなみに「喧嘩両成敗」というのも自分に言い聞かせたい言葉です。

おたに(2)

 これは昭和44年度寮歌のタイトルなんですが、今誰も居部屋にいなくて淋しいなあと思いこれを書き始めた瞬間、秋山くん(2)が「あたーらしーいあーさがきたー!」って歌いながらやってきた。
もう15時まわってますけど。

↑春休みには髪を青くすると話す秋山(2)

そして風呂に入ろうとする細川(1)を呼び止め1枚。

↑パパラッチされた細川(1)

そしてまたひとり。

↑「撮らなくていいってー」と笑顔満開の林(2)

こうして私の居部屋孤独は一瞬にして幕を閉じました。

〜エピローグ〜
タイトルはなんだか淋しげな印象を受けるこの寮歌。
だがしかし。4番まであるのですが、全番最後は
「嗚呼我一人にあらずして 我が青春は寮友とあり」
となって終わります。
寮歌はやはり奥が深いです。

おたに(2)

今日の話は 今B1でホットな話題、「自分の名前について」です!

きっかけは現寮長の名前。「泰司」と書いて「たいじ」と読むんですが、OB の方からの電話で「やすし」と呼ばれたことでした。
ちなみにオーガ(1)は小学校のころは「悠二郎」を「おこじろう」と読まれることが多かったそうな。
三本竹(1)は「寛(かん)」だから「空きカン」と言われていたらしい。
ヤスヒロ(1)は「天下泰平は余裕」から「泰裕」。ぜひぜひ天下取ってもらいたいもんです。
りんちゃん(2)は「林真奈美」で全部左右対称の字やったり。
秋山(2)は「拓哉」で比べられるからキムタクを恨んだ時代もあったらしい。
みんなそれぞれいろんな経験を通して名前とそして自分と向き合ってきたんやなあ。
「そんな時代もあったねといつか笑える日が来るわ」中島みゆきさんはやはりすばらしい!

みんなけっこう小さい頃は自分の名前が嫌いだったそうなんですが、今は気に入ってるという人ばかり。
みんな親が自分のために真剣に考えてつけてくれた名前を大事に思っているそうです。

ちなみに私は「萌子(もえこ)」っていうんですが、親は「自然の中で明るい子に育つように」という想いを込めてくれたそうです。
でも、母のお腹の中で私は暴れ回っていたらしく、最初は男の子が生まれると思って「健太郎」とつけようと思っていたら、産まれてきたのが女の子でびっくりしたらしいです。

なにはともあれ、みんなこれからも自分の名前、自分自身と向き合って生きていきましょう!
↑天下統一を目論む泰裕(1)
↑ヘンガオ竹と呼ばれる三本竹寛(1)

おたに(2)

 前の期、同じ部屋だったイルデフォンソ(1)は言っておりました。
「私後期一回でも学校休んだら萌子さんに寿司ごっつあんしますよ!!」
前期ずっと居部屋にいたやつがよく言うわと。
最初は結構頑張ってたんやけどなあ。
そして案の定イルデフォンソとは今度寿司を食いに行くことになりました。
↑○年目が決定した新歓実行委員長イルデフォンソ(1)

今はちょうどテスト期のようでみんなひぃひぃ言っております。
でもこれを乗り切れば楽しい楽しい春休み!
みんな頑張って単位とりませう!!

おたに(2)



今日はオーガ(1)の誕生日!
恵迪寮では誕生日は一大イベントとしてそれはもう盛大に祝福されます。
そして誕生日にもらったものは食べ終わらないと大人にはなれません。
自分の誕生日を祝ってくれる人がいる喜び、頑張って食べることを通して本当の意味で1歩成長するわけです!
↑20歳オーガ(1)
↑80個ドーナッツをプレゼントされたオーガ(1)


また今日は中島商店に新店員さんが誕生しためでたい日でもあります!
なんとなんと、そのアルバイトさんとはマンモス(3)です!!!
その類稀なるかわいさアピールでどんどん寮生を呼び込んでもらいたいもんです!
↑最初のお客様林(1)におつり910円を慎重にわたすマンモス(3)

今日はめでたい日です。

 「グリーンモンスター」
それは「恵迪寮史」という本の愛称であります。
なぜ「グリーンモンスター」というかは読んで字の如く、緑色の広辞苑のような迫力をもつ本であるからです。

舞台はここ恵迪寮、主人公は自分たち。「恵迪寮史」それは今までの、そしてこれからの寮生が紡ぐ物語です。

今日はそんな寮史の1ページを紹介したいと思います。

私は当時寮史編纂委員だったこともあり、ふとグリーンモンスターに手をのばしました。
恵迪寮史第二巻回顧録の中のひとつ、「恵迪寮の三年を憶う」を何気なく読み始めました。
1935年から38年まで在寮されたその方は冒頭に「私が今日あるのは恵迪寮で三年を過ごした御蔭である」と書かれていました。
最初私は「そんなに良い寮生活だったのかー。」とぼんやり考えていました。
しかし、後に知ることになったのはこの時私の考えていた「良い寮生活」とは「楽な寮生活」という感じに近く、本当の意味の「良い寮生活」というのはもっと違うものであるということです。
作者の方は三年間の寮生活を「恵わん迪を索めて彷徨った三年」と表現されていました。
そして私がいちばん驚いたのは「部屋割制度改革について」のところで、そこでは不当な暴力を受け1か月も眼帯が取れないような怪我を負ったが有耶無耶になったこと、そして作者の方はその後退寮されたことが書かれていました。
そんなことがあっても「みんないい寮生だった」と振り返られる寮生活はいったいどのようなものだったのだろう。そして私は将来どんなふうに寮生活を振り返るのだろうか。
この回顧録は私に本当の意味での「寮生活」を考えるきっかけをくれました。

このように寮史1ページをのぞいてみてもいろんなことがあるもので、もっともっと読んでみたいなあと思います。


おたに(2)

 今期私は炊務部長として期のはじめに「なぜ炊務部があるのか」ということを考えたわけなんです。(この、何かやるときに「なぜそれをやるのか」をしっかり考えるというのは私がここ恵迪寮で学んだ大切なことのひとつです。)

まず、炊務部というのは簡単にいうと寮内の「食」に関することをやる機関で、毎週日曜に約200人分の食事を作りみんなで食べる「スペシャル」や、パンや米、肉、アイス等を入荷し販売したりしています。他にも今回のラーメン食堂など「食」に関する企画を行ったりします。

今期「なぜ炊務部があるのか」という理由を私たちは、ごはんを食べると元気になる、そしてそこに「人」がからむことによって幸せになるからと考えました。誰かと一緒に食べているときや、誰かが自分のために作ってくれたごはんを食べているとき、おなかがいっぱいになり元気が出るだけではなく、心も満たされます。そんなことを実感できる場をみんなに提供するために炊務部があるんやと考えています。
今日はそう考えるようになった出来事について少し書いてみたいと思います。

これは去年の10月の話です。
私は北見網走にいる寮のOBやOGの人に会いに、ひとりでヒッチハイクの旅に出ました。
車に乗せてくれた方々は本当に親切な方ばかりでした。
往路。3台目の車に乗せていただいたときにはもうあたりは真っ暗で、乗せて下さったドライバーの方は、私が朝から何も食べていないということを聞き、別れ際にセブンイレブンで買った温かいお茶と肉まんをくれました。「北見までもう少し。頑張ってね。」と。見知らぬ土地の寒空の下ひとりで食べたその肉まんはおいしすぎて目頭が熱くなりました。
復路。増毛から札幌まで乗せていただいている途中、ドライバーの方は野営道具でお湯を沸かしカップラーメンを作って下さいました。月明かりの下で食べたあのカップラーメンの味も忘れることはできません。

なんであんなにおいしかったんやろう・・・。
それはその肉まんやカップラーメンにドライバーの方々の優しさが詰まっていたからだと思います。その優しさは私を元気にし、幸せにしてくれました。
実家にいるころにはわからなかった母の手料理のおいしさの理由も今はわかる気がします。

結局何が言いたいのかわからなくなってきましたね。(苦笑)
とにかく、今期私は炊務部でそんなふうに少しでもみんなの心をぽっとあっためることができるようなごはんを作っていきたいです。

おたに(2)

 寮生といえば!
そう、ラーメンです!!!
ということで今週火曜から4日間深夜にラーメン食堂をやっています。

私は○執をやっているので今は休ませていただいているのですが、
1年目の頃から札幌の有名店「らーめん五丈原」でバイトしている所謂「五丈ファイター」なので久しぶりにラーメンを作れてめっちゃ楽しいです。

お客さんも事務室で麻雀番組を見ながらラーメンを食べていました。
味は日替わり。
初日は50人、2日目は70人ほど来店。
深夜だというのに・・・。やはり寮生は相当なラーメン好きです。

↑「ホールの楽しさに目覚めた」というIT社長(1)

おたに(2)

 1月16日のスペシャル後、いつものように散らかった補談を掃除していたところ、
上からぽたぽたとなにかが落ちてくるではありませんか。
「なんやあれは!?」と上を見てみると換気扇のフィルターから油が落ちてきていました。
相当長い間掃除されていないのでしょう。
こんなところにも寮の歴史を垣間見ることができます。
しかし、それを通して見えたものは「自分たちが使っているものの掃除すらろくにできていない」という事実でした。

↑生物兵器に汚染されたように汚い換気扇


ということで!
換気扇をきれいにしよう!という一大プロジェクトが始まったのです。
長年の間にたまりにたまった油汚れはヘドロ化し、さながら生物兵器のようで、少しでも手に付くとちょっとやそっとじゃ取れないほど頑固なものでした。
何度も何度も試行錯誤を繰り返し、私たちが見つけ出した最も効果的な方法は
「マジックリンと熱湯のダブル攻撃」でした。
こうして3時間を超える壮大なプロジェクトは幕を閉じたのでした。

↑ヘドロと闘うキトー(1)

↑油汚れを拭き取るIT社長(1)

換気扇を通して見えてきたもの、それは「自分たちの生活を自分たちでつくる」という「自治」の精神そのものでした。
「自治」という響きはなんだか難しそうに聞こえ複雑に考えがちだけど、実はもっとすごくすごく単純なものなのかもしれないなあときれいになった換気扇に吸い込まれていく煙を見ながらぼんやりと考えた出来事でした。

↑きれいになった換気扇に細川(1)の煙草の煙が勢いよく吸い込まれていく様子

おたに(2)


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